29 11月 11

 ここには『新潮日本文学アルバム』とあるが、それには実は載っていない。嵐山光三郎の『追悼の達人』(新潮社、1999、のち文庫、中公文庫)には載っているが、これも引用元は明示されていない。だが巻末の参考文献一覧を見ると、竹本千万吉『人間・林芙美子』(筑摩書房、1985)からの引用であることが分かる。竹本はちゃんと、板垣直子『林芙美子の生涯』(大和書房、1965)からの引用であると断っている。板垣は鷹穂の妻の文藝評論家だが、芙美子より年上である。しかし65年では遅すぎるので、調べると板垣の『婦人作家評伝』(メヂカルフレンド社、1954、日本図書センターより復刊)にあった。そして板垣は「川端康成の挨拶のなかに、つぎのような意味の言葉があった」と書いている。つまり正確な引用ではなく、板垣が記憶で書いたものである。

 嵐山のは、いわゆる孫引きである。太田もおそらく竹本から引いたのか、板垣を直接見たのか分からないが、「活字になってみると」と書いているのがいぶかしい。おそらく重金も、これが板垣が記憶で書いた「大意」であることに気づいていなかっただろう。

 原拠に当たるというのは、こういうことなのである。『新潮日本文学アルバム』を編纂した今川英子さんは学者だから、活字典拠のないものは引かなかったのである。

林芙美子の弔辞 - 猫を償うに猫をもってせよ