20 7月 10

荒井は発足直後の日本生産性本部が募集していた、米国視察団のための案内役兼通訳の採用試験を受けた。1000人近くが殺到したが、合格者6人の中 に選ばれた。後に同時通訳の草分け的存在、参院議員になる國広正雄もそのうちの1人だった。

 日本生産性本部の米国務省駐在員として、荒井 はワシントンに赴任。1956~59年、日本からやって来る視察団(1編成12人)計24チームの面倒をみた。分野は多岐に渡り、製造業、流通業、トップ マネジメント、学術・・・。

 国務省支給の日当12ドルで全米を回るハードな仕事だったが、荒井は「財界四天王」の一人である永野重雄(日 商会頭、新日鉄会長)らの知遇を得る。それが国際的な人脈を築く礎になった。

マハティールが立て替えたホテル建設資金 コンサル「元祖」荒井好民氏の国際ビジネス戦記 JBpress(日本ビジネスプレス)