— 米国の罪と罰:行き過ぎた厳罰主義 JBpress(日本ビジネスプレス)米国の一部地域では、かなり古くから司法に対して厳しく先駆的な姿勢が取られてきた。ところが40年ほど前から、この傾向が先鋭化し始めた。犯罪の増加が感情的な政治問題と化し、有権者が犯罪撲滅を掲げる政治家を支持するようになったからだ。
この状況が、一方的な厳罰化を押し進めることになった。自分をタフに見せたい議員たちは、やはり自分をタフに見せたいと思っているほかの議員が直前に提案したものよりも厳しい法案を提出しなければならない。
犯罪率が下がると、厳しい刑罰が功を奏したとして(実際は人口動態などのほかの要因が大きかったとしても)厳しさが歓迎される一方、犯罪率が上がると、問題を解決するためにもっと厳しい刑罰が求められる。この結果、米国の収監率は1970年以降、4倍に上昇した。
同じことは他国でも起きている。1970年以降、英国では収監率は2倍以上に、日本では1.5倍に高まった。しかし先進国の中で米国ほど急激に収監率が高まった国はほとんどなく、格差は拡大している。この差は、犯罪傾向の違いでは説明がつかない(イングランド人は、殺人こそ少ないものの、米国人より犯罪傾向がやや高い)。
また、米国の政策が有効だったとも言えない。何しろ米国の暴力犯罪率は40年前よりも上がっている。
適切な刑罰のレベルという問題を巡っては、保守派とリベラルは常に反目し合う。大半の米国人は、凶悪犯罪者(統計的には若い男性であることが多い)、特に暴力犯罪者には、長期の刑を科すべきだと考えている。しかし、その基準に照らしても、現在の米国の法律の極端な厳しさ、とりわけ法的に「犯罪者」とされる人々の範疇が拡大し続けていることは、逆効果になりつつあるように思われる。
26 7月 10

